”Hot Dogs!”

ディズニーをメインテーマに、気になったことや見つけたことなどを記録していくブログです。

第3章・第4章 -『ディズニーランドという聖地』

こんにちは。

 ディズニー関連の本を読み、疑問や感想をまとめる「ディズニー読書記録」のコーナーです。(なにこれ?と思われた方は、右のカテゴリ欄の「ディズニー読書記録」をクリックして、過去記事をご覧いただければと思います。)

 今日は第3章と第4章についてまとめて取り上げます。第3章だけでは書けなかったので、まとめちゃいました。いくつか本文から引用して考えたいと思います。

  ちょっと長いので、「続きを読む」からどうぞ!

 

子ども時代へ

 前の第2章では、ウォルトの幼少時代の経験が後の「ディズニー」を創っているということについて述べられていました。子ども時代の経験と言うのは大きいものですね。

 

ウォルトの精神世界に大きな足跡を残したもの、それは中西部の自然や風土とともに、父イライアスの存在であった。(P95~96)

 中西部の過酷な自然環境に加え、厳格なウォルトの父イライアス・ディズニーによる教育を経て、ウォルトの価値観、考え方が創られたということでしょう。 

 上のように解釈すると、子どもの頃できなかったことを、大人になった今実現させたいというウォルトの願いが読み取れます。子ども時代にタイムスリップして、子どもの気分になって味わいたい。ウォルトのその願望にアメリカの大衆も共感できたからこそ、ディズニーランドは人気を博したと言えます。

 

 大人の中の子ども心に訴える。ディズニーの作品にはそんな特徴がみられます。どんな人にも、子ども時代に戻りたいという想いはあると思います。現実的に考えれば子ども時代に戻るなんてできませんが、戻りたいという想いはある。そこに訴えかけ、(仮の形ではあれ)実現させたからこそ、ディズニーランドはあれほどの人気を得たということだと思います。

 ちなみにこの解釈でいくと、「東京ディズニーランド」の人気ぶりも同じような理由から、とも言えそうですが果たしてそうなのか、疑問ではあります。東京ディズニーランドへ行って「懐かしさ」を感じるのかどうか。育った環境が違えば、感じるものも異なると思います。

 

ファンタジーに対する危機感か?

憂いのなかった昔に対するノスタルジア、無垢な子供時代に帰りたいという回帰願望は、ディズニーランドの最奥にある小さな子宮(「イッツ・ア・スモール・ワールド」を指す)のなかに、こうして見事に収束していくのである。(P122)(括弧部はブログ記事筆者による)

 これはすごい結論だと思いました。確かにそうとも言えます。面白い見方だと思いました。メインストリートUSAで懐かしさに浸り、子ども時代を思い出したのち、最終的なゴールはファンタジーランド。「イッツ・ア・スモール・ワールド」にいる子どもにかえっていくということでしょうか。

 この文章を読むと、序章でも挙げられていた筆者のディズニーランドに対する嫌悪感が感じられます。おそらく筆者は、夢の世界に入りきって戻って来られなくなるといった危機感を感じたのではないかと私は思っています。

 

「ディズニーランド化」

「本物の駄作」が「ニセモノの大傑作」に必死に追いつこうとしてるいま、我々は「ディズニーランドの時代」のただなかに生きていると、言えないだろうか。(P166)

 そういわれれば確かにそうです。ディズニーランドでみた風景、私たち(特にアメリカの人)が頭に思い描いていた理想のアメリカの姿、それを現実世界で実現したいと思う人は多いはずです。

 自分の住む地域、国が、悪く言われるのは嫌なものです。ですから「よくしたい!」と思って、できる限り改善しようと試みます。そのモデルとも言えるのがディズニーランドであって、よくもまあ、「アメリカ人の(頭の中の)理想」を現物として表現したもんだなあと、ウォルトの感性に驚きます。

 

 現実の誇張、という意味で筆者は「超リアリズム」という言葉を多用しています。現実を超える現実。言葉にすると意味が分からなくなりますが、なんとなくわかります。

 「ディズニーランド化」することの問題点とは何でしょうか。現実の否定、本来の姿に目を向けないという点でしょうか。また上でも挙げましたが、ディズニーに対する嫌悪感、ファンタジーへのめりこんで帰って来られなくなることの危機感が筆者にはあるのではないかと私は考えています。(私なんかは「20世紀博」を思い出すのですが(笑))

 考えようによっては、別に理想を現実に反映するという点では問題の無いようにも思えますが、この後どういう展開になるのかが気になります。

 

まとめ

 序章で触れられていた「アメリカ人にとってのディズニーランド」について、なんとなく見えてきたように思います。それは、アメリカ人の理想を表現したもの現実を凌駕し、誇張した「現実」を表したものであると、ここまででは言えるでしょう。

 

 なぜディズニーランドはあれほど人気なのか。頭の中にある理想が、何の違和感もなく目の前に広がっているからではないでしょうか。その「理想」については、本でも挙げられていたように、子ども時代に読んだ『トム・ソーヤの冒険』や『宝島』等の文学作品によって創られていると言えると思います(もちろんこれだけではないと思いますが)。子どもになりきってもらうことで、ディズニーランドで実現したその「理想」が、輝かしく見えてくるということだと思います。

 

 

 読書記録をつづけてこれで4日分の記事となりました。まだ読み終わっていませんが、記録ってのも結構難しいものですね。1冊を読むのにこんなに時間がかかるなんて(笑)。でもそれなりに得られるものも多く、勉強にはなります。残り2章分、頑張ります。長文にも関わらず最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではでは。