こんばんは。
ディズニー関連の本を読み、疑問や感想をまとめる「ディズニー読書記録」のコーナーです。(なにこれ?と思われた方は、右のカテゴリ欄の「ディズニー読書記録」をクリックして、過去記事をご覧いただければと思います。)
今日は、能登路雅子『ディズニーランドという聖地』(岩波新書 1990)の最終回。第5章と第6章をまとめてお送りします。
気になった点を以下にまとめます。あ、今日は前回より短いのでご安心ください。
「まさにEチケット」
ライド飛行士の発した「宇宙はまさにEチケット」というメッセージには、この切符のもたらす数々の冒険と驚異、恐怖と興奮に対するアメリカ人の熱い思いがこめられていた。(P202)
ライド飛行士とは、宇宙飛行士で物理学者のサリー・ライド飛行士のことだそうです。「宇宙はまさにEチケット」という言葉は有名だそうです。
アメリカ人の中に、「ディズニー」というものがどれだけ重要な中核を成しているかがわかります。ディズニーランドでみたもの感じたものが、多くのアメリカ人の価値観や考え方を形成しているとも言えそうです。
アメリカ、日本における「ディズニーランド」の捉え方
序章のところで、「アメリカ人のディズニーランドに対するイメージや思いと、日本人のそれとでは、違いがあるのか」という疑問を持ちましたが、著者によれば、アメリカでは「聖地」、日本では「精神性をともわない巨大な娯楽・消費空間」(P234)という捉え方をしているのではないかと結論付けています。
子どもの世界へと誘われ、そこでは自分が主人公。全ては自分の想像通りとなっている・・・。そうやってディズニーランドが「聖地」と化していきます。ある種のマインド・コントロール?かもしれませんね。
ちなみに、日本に住む私たちにとってディズニーランドは「聖地」ではないと思います。・・・いや、そう断言できそうもないですね。最近の東京ディズニーランド、シーのゲストの様子を観てみれば、ある意味「聖地」と化していると言えるかもしれません。9割ほどのリピート率、いつ行っても混んでいるパーク。まるでお伊勢参りのようにずらずらと並んでますよね。それにミッキーなどのキャラクターの人気ぶり。見方を変えればパークは、ミッキーマウスを神様とした神社みたいなものではないかともいえると思います。
まとめ
アメリカの人にとってディズニーランドとは「聖地」である。夢に描いていたものが目の前に広がっていて、ゲストを常に魅了し続ける。アメリカ大衆にとっての「理想郷」、それがディズニーランドに対する彼らの見方であると言えそうです。
価値観や、考え方に「ディズニー」は大きな影響を与えています。「まさにEチケット」という言葉からも、自分の感情や思いを、「ディズニー」というものを用いて表現するほどの影響なのだと分かります。
これは私の考えですが、このことはアメリカに限らず日本の人々にも当てはまることだと思います。アメリカほどではないにしても、私たちの考え方に「ディズニー」が少なからず影響を与えていることは、実感あることだと思います。「ディズニーランド化」という言葉もありましたが、もしかしたら日本の文化にも徐々に、「ディズニー」が入り込んできているのかもしれません。
うまく書けませんでしたが、今の時点での私のまとめは以上です。
若干ディズニーに対して批判的になってしまいました。でも面白い視点を得られたと思います。ディズニーが好きなあまり、一面的にみてしまいがちでしたが、そういった客観的な視点が持てたことが今回の収穫だと思います。
さて、今日でこの本の記録はおしまいです。・・・感想とかを書きたいのですがそれは次回としたいと思います。ではでは。