マーブルーのディズニーノート

大好きな「ディズニー」について、思ったことや発見したことなどを、思うままに書いていきます。

第1章 -『ディズニーランドという聖地』

こんばんは。ディズニー読書記録です。

なんだこれ?と思われた方は、以下のページをご覧ください!

 

さて今日は前回の続き、第1章をみていきます。前回の記事については以下からお読みください!

 

「1 ディズニーランド誕生」

 いよいよ本題に入りました。ここでは、次の2点について考えたいと思います。

1、ウォルトが訴えかける対象=「子供性」

映画人ディズニーが対象としたのは、人の心のなかの「子供性」であると同時に、庶民の胸のうちに潜む「スター性」「変身願望」だったのである。 (41頁)

 子どものころに感じたわくわく、どきどきした気持ちを、ディズニーランドでもう一度思い返させるというのがウォルトのねらいでしょうか。何かのヒーローやプリンセスになりきったり、未来について思いを馳せたり。子どもの想像力を、子どもはもちろん、大人からも引き出すことをウォルトはねらっており、ディズニーランドを楽しいと感じるのはそこにあるからなのではないかと思いました。

 

 確かに文中にもあるように、ディズニーランドは映画セットに似ています。ゲストはつまり映画の主人公になれる、ということですよね。

 そう考えると、例えば先日盛り上がったハロウィンの仮装については、ウォルトの意思に合致したものであるとみることができますね。まるでディズニーのキャラクターになりきり、パークを楽しむ。そういうのも、ディズニーランドではアリなのかもしれません。

 

 もちろんそれだけではなく、未来への憧れなんてのも、子ども時代に抱く思いです。宇宙旅行やタイムスリップなど、実現してほしいなあと切に願ったものですよね(今でも願ってます)。おそらくトゥモローランドがその役割を担っているのでしょう。

 

 前回の「序章」の記事ところで私は、ディズニーランドに対してアメリカ人は「懐かしさ」を感じるのではないかと書きましたが、別にディズニーランドの建物や装飾をみてそう感じるのではなく、子どもの時の自分を思い出すという点で「懐かしさ」につながっていくのではないかとも思いました。

 

2、「全てのゲストがVIP」

 文中には、有名人がパークに訪れる話がありましたよね。昭和天皇や当時の皇太子夫妻(現天皇皇后)も訪れているくらいですから、「ディズニーランド」はアメリカの顔ともなったと言えそうです。

 有名人は厚くおもてなしされても、やはりウォルトの中には「全てのゲストがVIP」という考えはあったようです。それは上でも述べた一人ひとりが「映画の主人公」であるという考えとつながりそうで、有名人でなくても誰もが特別である、転じて「誰もが主役である」という事だと思います。

 今のパークへ行っても、キャストの方々のホスピタリティは素晴らしいものだと感じています。このクオリティを今後も維持していってもらいたいと思います。

 

まとめ

 「すべてのゲスト一人ひとりが主人公」という考えはウォルトのいた時代からあるものですね。たとえパークが成長しようとも、その考えは引き継いでいってほしいものです。

 小さいころに見ていたアニメ、おもちゃ、本などに出会うと、「あー懐かしいなあ」と思います。子どものころは難しいことを考えずにすんでいたこともあって、自分の思うままに遊んでいたものです。大人になると「あー子どもに戻りたいなあ」と思うものですが、それをちょっと叶えてくれるのがディズニーランドでしょうか。子どものように想像力を働かせてパークを歩くと、「大人でも楽しめる遊園地」になるのではないかと思いました。

 

 次回は第2章です!それでは。