こんにちは。
「ディズニー読書」記録です。記念すべき第1冊目は、
能登路雅子『ディズニーランドという聖地』(岩波新書 1990)
です。
当初は第1章まで書いてしまう予定でしたが、長すぎてしまったので分けました。第1章については後日アップしたいと思います。今日は序章についてです。
「序 ディズニーランドとの出会い」
著者がディズニーを研究対象にするにあたっての経緯などが記されています。ディズニーが仕事になるなんて、ちょっとうらやましいですね。
2点、言葉を引用して、詳しく見ていきたいと思います。
まさに「夢」の国
「ディズニー」と名のつくものは私の心のなかで半ば理想化されていた。 (4頁)
東京ディズニーランドができる以前の日本人にとって、ディズニーランドとは遠い国、まさに「夢」の国というイメージだったのかもしれません。金曜の夜に「ディズニーランド」という番組が放送されていたことからも、「ディズニー」は日本でもよく知られており、東京ディズニーランドが来る以前から、日本人にとってもディズニーランドは憧れであったことが分かります。
「ディズニーランド」に抱くイメージの文化的差異
本物のディズニーランドとは私の想像とどこか根本的に違っていた。 (6頁)
おそらくこの点について追究していくのが、著者のねらいでもあるのだと思います(違うかもしれませんが)。
私たち日本人が思う「ディズニーランド」のイメージはおそらく、「夢の国」とか「非日常」などであると思います。アメリカ人も同じように考えているはずです。("Happiest Place on Earth" と言うくらいですので)
同じものをイメージしていたのであれば、アメリカのディズニーランドをみた時、日本人であろうと同じ反応をするはずなのに、著者の場合は想像と違っていた。何がどう違っていたのでしょうか。
例えば、アメリカ人のディズニーランドに対するイメージや思いと、日本人のそれとでは、違いがあるのでしょうか。例えばメインストリートUSAの役割について、アメリカ人はそこに懐かしさや「昔」を感じるのだと思います。ですが日本人からしてみれば「おしゃれ」とか「異国」というものを感じます。ディズニーランドにいくと「まるで海外旅行をしてきたかのようだった」という声を聞いたことがありますが、そこからも、「異国」気分を感じるのだという事が分かります。
そういった違いは容易に想像できますが、その点以外にもあるのかどうか、疑問です。
また、アメリカ人がアメリカのディズニーランドと東京ディズニーランドをみて違いを感じたり、逆に日本人の方も感じるのかどうかも気になるところです。東京ディズニーランドは、日本人向けに作られたものであろうと考えられますが、どういった点で日本人向けなのかを意識したことがないのでわからないものです。2者を比較してみると、面白いかもしれません。著者がアメリカのディズニーランドをみて想像と違うと感じたのは、どの点であったのかは比較していけばわかるような気がします。
まとめ
序章ではつまり、著者のアメリカディズニーランドに抱いた違和感から、ディズニーランドの文化的意味についての研究につながっていくことが示されていると言えます。
「ディズニーランド」に対するアメリカ人と日本人の捉え方の違いを追究することで、私の場合はディズニーランドをより一層楽しむことができるのではないかと思っていますし、そんな視点から、この本を読んでいきたいと思います。
次回は第1章について考えていきます。ちなみに、序章は10分ほどで読めました。